>

スポンサードリンク

子どもを3人望むということ

先日、義理の妹夫婦に3人目の子が誕生しました。

それを知った、我が母が、

「あなたも3人子どもがいたら、もっともっと楽しかったかもね」

と言いました。

深い考えなんてないと思うのですが、それは違うと強く思いましたので、ここに記録しておこうと思います。

そもそも母がなぜそんな発言をしたかと考えますと、自分が3人産んだから、なのだと思うのです。

それで、特に後悔していないし、それでよかったと思っているから。

しかし、それはあくまで母の視点な訳です。

私も兄妹3人で、それでよかったと満足しています。

兄も妹も大好きです。

しかし、私は親に愛されずに育ったという気持ちは強いのです。

3人兄弟の真ん中は自由に育つ、なんてよく聞きますけど、ほんと、その通りで、私が1番奔放な人間だと思います。

1番上の子は、たった1人しか子どもがいなくて親の愛を一身に受けることができる時期を過ごしているわけです。

2番目が生まれると、上の子をケアしないといけないという意識から、かなり上の子を可愛がるようにしたらしいのです。

つまり、私の方はそこそこ。

そして、3番目が生まれると、上の2人は一緒にいい子して遊んでいてくれるので、親としては3番目のケアをしようとなるのです。

あれ?2番目はいつケアされたでしょうか?

それなりに愛情は注がれたはずですが、やはり未だに根に持っている子がいるのも事実。

ところで、私が上の子1人だけで満足できず、2人目を望んだ理由を書いておきます。

それは、上の子をもしも亡くすようなことがあったら精神的に耐えられないと思ったからです。

不安が強すぎて、2人目を望みました。

上の子が可愛いから、もう1人いたらいいな、とか、

上の子にきょうだいを作ってあげたい、とか、

そんな理由では無いのです。

むしろ、上の子にきょうだいができたら、私のような不満を抱かせることになるかもしれないし、十分にお金をかけてあげることもできないかもしれない、あちこち旅行にも行けなくなるかもしれない、などなど、嫌な面ばかりを考えて、我が家には1人で十分だと思っていた時期もあります。

しかし、こんな可愛い子を失ってしまうようなことがあったら、、、

なんて恐怖にとらわれることもあって、やはり2人目を望んだのです。

もちろん、上の子の代わりなんて誰にもできないことは分かっています。

下の子にも代わりをさせようなんて産んだわけではないのです。

多くの子どもを望むこの気持ちは、生物としての本能ではないのかと思います。

そして、実際に2人子どもができると、もしも、この子たちが、、、なんて縁起の悪いことを考えることも無くなりました。

2人が一緒に楽しそうに遊んでいると、やはりきょうだいっていいものね、とも思います。

ですが、きっと、上の子には今までにはなかったツライことや、我慢しないといけないことが、たくさんあると感じています。

私自身も、上の子が1人だけだった時と同じような愛を、2人に注ぐことが不可能であると感じています。

私の限界です。

これ以上数が増えたら、もっともっとかわいそうなことが増えてしまう、、、それはきょうだいが増える楽しみを上回るだろうと予想されるのです。

だから、私はこの子たち2人を産むことができて感謝していますし、十分であると満足しています。

そんな風に母には伝えたのです。

人間の欲望には際限がないと言います。

100万円持っていたら、1千万円欲しいと思うし、1千万円持っていると、1億円が欲しくなる。

じゃあ1億円持っていたら幸せなのかと言えば、100億円の人を前にして不幸になる。

それは、相対的な幸せ基準しか持っていないからなのです。

10万円の金額があれば十分楽しく暮らしていける、という基準があれば、10万円で十分に幸せなのです。

子どもの数も同じなのだろうと思います。

2人より3人がいいでしょう、なんていう人は、きっと2人しか子どもがいない人を相手にすると、優越感という名の幸福感に浸ることができ、4人の子持ちを前にしてたちまち不幸になってしまうのです。

問題は、人数ではないということです。

今、目の前にいる息子と娘、この子たちとなら、十分楽しく生きていけると感じているのです。

この2人をめいっぱい幸せにするために、そして自分もめいっぱい幸せになるために、他の子を望んでいない、ただそれだけのことなのです。

スポンサードリンク