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子どもの長所を伸ばすことに集中する

私は2人の子育てしかしたことがなく、保育園の先生や学校の先生として働いたこともないので、他の子どもがどのようなものなのか全く分かりません。

ただ、学校から呼び出されて、子どもの困ったところについての話し合いがある、というのは何度も体験したことがあるので、もしかすると、ちょっと特殊な性質の子どもたちなのかもしれません。

「特殊」という表現が適切なのかな?

2人とも、「好奇心」がずば抜けていて、「知識」もすごく幅広くとにかくスマートだというのは小さい頃から、幼稚園や学校の先生から評価されていました。

ただ、困っているところもずば抜けているのか、たまに呼び出しがかかります。

話し合って、そこを改善してください、と。

 

親としては、先生から「改善してください」と言われたら、改善しなきゃいけないと思って、子どもと話し合い、というか、強く言って聞かせて、もう二度と同じことを繰り返さないように言う、ということをしてきたわけです。

子どもは、今の学校のことが大好きで、今後も通い続けたいと願っているので、先生から嫌われてはいけないと、親子共々思っているのです。

 

ですが、よく考えてみました。

人の短所って、なかなか変わるものではないのです。

コミュニケーションが苦手な人はずっとコミュニケーションが苦手です。

アウトドアが嫌いでインドア派の人は、やはりアウトドアは苦手なのです。

もしも、それを克服することができたとしても、それを克服するための努力は並ではないはずです。

時間も労力もすごくかかる。

ストレスもすごい。

そんなことに時間や労力を使うくらいなら、長所を伸ばす方に使った方がいいのではないか?と、ふと、思いました。

長所を伸ばすための努力には、ストレスもありません。

これからの時代、何でも屋さんが求められているわけではないと思うのです。

どこか尖っているくらいの方が、求められるんじゃないだろうか?

 

確かに、学校生活を送るにあたって、生徒たちが問題行動を起こしまくったら、うまくまとまらなくなってしまいますので、先生としては、問題行動はなくし、全員を「素直にルールをきっちり守れる生徒」にしたいはずです。

ですので、先生の役割としてはそれでいいと思うのです。

ですが、親として、先生と全く同じ視点で、子どもの問題行動をつぶしていくことばかりに注目していくわけにはいかないのではないだろうか?

子どもも否定されるばかりで、一層、問題行動につながっていくんではないだろうか?

そもそも、問題行動というのは、周りの子どもたちがほとんどやらないレアな行動であるという意味で、尖っているところなのではないだろうか?

問題行動の中にひそむ、子どものいいところを見つけて注目し、そこを問題にならない方向に伸ばしていけたら、それが理想的だなと思っているところです。

なかなか難しいですけども。

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